日本書道学会6月号の半紙臨書課題の多宝塔碑の一節です。
多宝塔碑は初唐の楷書を受け継ぎながらも、たくましい書風であり、
顔法も控えめなので、比較的初心者の方にも受け入れられやすいです。
ところが、晩年の顔法の完成形である「顔氏家廟碑」や「建中告身帖」
などは、人によって好き嫌いがはっきり分かれてくると思います。
実際、書道教室の受講生の中にも、
「祭姪文稿」や「争坐位文稿」は、ただ、ぐしゃぐしゃに書いてる
だけで、どこが良いのか全然分からない、
という方もいらっしゃいます。
顔真卿の書は「一碑一面貌」と言われているように、
碑ごとに書風、運筆の調子を変えています。
若年から後年になるに従い、どんどん変貌していきますが、
これはピカソにも共通している部分があると思います。
ピカソも若い頃は、写真のような緻密なデッサンを描いていましたが、
後年はオリジナリティーを追求して、
大胆で独創的な作品を発表していきました。
その中でも「ゲルニカ」はナチスによるスペインのバスク地方の
田舎町ゲルニカへの爆撃を抗議して描かれたものです。
何の罪もない人々や動物たちが無残に殺されていくのを見て、
ピカソも激しい怒りと悲しみを「ゲルニカ」で表しています。
一方、顔真卿の「祭姪文稿」も。賊軍に殺された従兄と甥ら一族の
無念を思う悲しみ、憤りが、強い筆圧やスピード感、
荒々しく何度も塗抹した部分に込められています。
ピカソも顔真卿も想像を絶する悲劇を目の当たりにしながら、
その強い怒りを表現することによって、作品を通じて社会に
力強い抗議ができました。
精神的に辛くても、その「怒り」を芸術作品として表現できるのは
流石ですが、才能が無い自分達はどうすればいいのやら…。